『Re-Living Conditions 2001→2022』に向けた問いかけ 石田壽一


 


 今回の Re-Living Conditions の企画をどう始めるかについて、まず、2001 年に開催された前回のリビング・コンディション企画をまとめた記録誌の再読から始めたい。同記録誌には今回のゲスト全員の当時の設計に対する考え方が具体的なプロジェクトを介して集約的に述べられている。とりわけ巻末に掲載されたポストトーク(イベント後の土居・塚本・石田の企画全体を振り返った対談)を 20 年余り経過した今日から読み返してみると、意外にも「コンディション」論として取り上げたトピックや議論は、今日的視点から読み解いてもみてもアップデートなトピックに重なっており、単に過去形の記録として色褪せていないようにも思われる。

 例えば塚本氏が冒頭で触れた『近代は目的が優先されて、ぶっちゃけた状況を捉える空間概念が十分に考えられていない』という指摘は、依然として古くて新しい命題であり、リーマンショック(2008)、東日本大震災(2011)、新型コロナ肺炎災禍(2019)、ウクライナ危機(2022)などの社会空間を揺さぶるエポックメイクな事象とは独立に、今日的なスコープからも議論が可能な視点を提供するのではなかろうか。

 あるいは土居氏の「タガが外れた近世としての日本と建築」の議論も然り。『巧妙に西洋建築を学んですぐさま自分のものとして、でも結局タガが違う。細部を規制するものが違うから全然違うものができる』という指摘も、過去のみならず、縮退と成熟が並行する今後の日本建築を考える上で重要なコンディションとしての「タガ」の指摘は示唆的である。

 極め付けは後半の下りで浮かび上がった「1000 宅論/脱タイポロジーからリビング・コンディション、マキシマムチョイスへ(塚本・土居・石田)」。『プロトタイプとバリエーションではなく、むしろプロトタイプなきバリエーション。入口は一つではない。コンディションを見直すことがバリエーションを生む。これまで語られてきた、全体像が社会関係を引き受ける目的型シナリオの胡散臭さ。タイポロジーからリビングコンディション・ベースのマキシマムチョイス』の議論は、20 年前のリビング・コンディション企画の小結であると同時に、20 年後の今、再点検の必要なキーパラダイムのように思われる。

 加えて「ファーストオーダー/セカンドオーダー」論。「コールハースのラゴスのプレゼンテーションを見ていると、何か圧倒的なダメなものの量が、もともとファーストオーダーとして考えられた高速道路の目的を凌駕して、まったく違う秩序を作って、その違う秩序の中で出来損ないの高速道路がもう一回定義され直している」との塚本氏の提言は、次世代インフラ論や 1000 宅論の議論を進化させ得るだけでなく、311 以降のメガ災害からの復興計画や 2015 年に採択された SDGs 以降のカーボンニュートラル社会の実装に見られる機能分化・目的志向型のシナリオの孕む脆いレトリックに対する批評性を内在させているように聞こえる。

 いずれにしてもクロージングで土居氏が解題された「近世超細分化理論としての日本」を踏まえて、既往の対概念(機能|空間・プロト|バリエーション・グローバル|ローカル、メトロポリス|カントリーサイド)的見取り図ではなく、脱タイポロジーとしての建築の進化が、その後 20 年の間にどう議論されデザイン・アウトプットされたかの実証を含め、20 年前のリビング・コンディション企画の再読から始めて、この 20 年間のトランジションや今後の脱イデア論的進化再生に向けた議論を広げたいと思う。

石田 壽一